金融資産と金融負債の相殺表示に関する2要件

IFRSの「金融資産と金融負債の相殺表示」に関するガイダンスはIAS32「金融商品:表示」にあり、その2011年改訂版が2014年1月1日開始事業年度から適用されています。

IAS32では、相殺表示の2要件を両方とも満たす場合にのみ、金融資産と金融負債を相殺し、純額をBSに表示しなければならない(強制としています(IAS32.42)。

その理論的根拠は、「金融資産と金融負債との純額表示が複数の金融商品の決済による企業の予想将来キャッシュ・フローを反映する場合(IAS32.43)」があり、その場合には純額表示が財務諸表利用者にとってより有用な情報となるためであることがあげられています。

IAS32の相殺表示の2要件は、以下の通りです。

1.認識している金額を相殺する法的に強制可能な相殺の権利現在有している。
2.純額で決済するか、または資産の実現と負債の決済を同時に実行する意図を有している。

2つ目の要件がある理由は、相殺権を有していても、資産の実現と負債の決済を別々に行うことがありうるため、この要件が設けられています。

なお、BS上で相殺表示の要件が満たされていてたとしても、当該BS項目に関連するPL項目まで相殺表示するかどうかは別の論点であり、収益認識の基準書に従うことになります。

IAS32の相殺表示の考え方

IAS32の相殺表示の考え方は、金融資産および金融負債から生じるキャッシュ・フローの観点から、以下のように整理することができます。

  1. ここの金融資産と金融負債は、通常、別々のキャッシュ・フローを発生させるため、総額表示を原則とする。
  2. しかし、上記2要件を満たす場合には、複数の金融資産と金融負債からのキャッシュ・フローがいかなる状況においても純額で発生するものと認められるため、実質的には単一の金融資産または金融負債が存在していると解される。
  3. 実質的に単一の金融資産または金融負債をBS上で表現するため、2要件を満たす金融資産と金融負債には相殺表示が強制されるている。

IASBとFASBの相殺表示要件統一化の挫折

デリバティブを大量に取り組む業種でIFRSと米国基準のBSのサイズに大きな差異があることから、財務諸表利用者からの要望および金融安定理事会(FSB)の提言を受けて、2010年6月にIASBとFASBはBSの相殺表示要件を統一化するための共同プロジェクトを立ち上げました。

しかし、公開草案へのフィードバック、特に米国企業からの相殺表示厳格化への反発が強かった結果、双方とも現状維持という結果となりました。

以下は、米国の大手金融機関の2014年度年次報告書の相殺開示におけるデリバティブ資産の部分を抜粋したものになります。これを見ると、デリバティブの相殺表示がいかに米国基準の実務に大きな影響を与えているかがわかります。

米国大手金融機関のデリバティブ資産の総額および純額情報

(単位:十億米ドル) デリバティブ
資産の総額
デリバティブ
資産の純額
(貸借対照表計上額)
JP Morgan Chase 1,332.7 79.0
Bank of America 984.8 52.7
Citi group 890.6 70.6
Morgan Stanley 676.4 36.4
The Goldman Sachs Group 1,053.4 63.3

相殺表示要件について双方の溝は埋まりませんでしたが、両基準で作成された財務諸表の比較可能性を高めるための共通の開示を求めることになりました。

そのため、注記を見ることで、マスターネッティング契約等によりどのくらい相殺表示がされているかがわかるようになりました。

また、IAS32が示す相殺表示の2要件について、実務上の解釈に幅があるとの指摘から、改訂版IAS32では、2要件それぞれに対する解釈が追加されました。

  • IAS32における、“法的強制力のある現在の権利を有する”という要件の明確化
  • 同じ時点で決済が行われない総額決済メカニズムを採用している清算機関などの決済システムについて、純額決済・同時決済の要件が満たされるかの明確化

相殺権行使の意図

強制力のある相殺権の存在だけでは、相殺の十分な根拠とはならず、相殺権を行使するか、または同時に決済するという企業の意図が必要です(IAS32.46)。

そのような意図があると、企業の「将来キャッシュ・フローの金額と時期」に影響が生じ、資産と負債とを純額で表示することが、予想将来キャッシュ・フローがさらされているリスクとともに、その金額と時期をより適切に財務諸表に反映することができます。

同時決済(simultaneous settlement)

相殺対象取引の決済が同時点で起きる場合にのみ、「同時決済」として取り扱います。

2つの金融商品の同時決済は、例えば金融市場の清算機関を通じた清算または相対取引を通じて行われる場合があります。

なお、清算機関を通せば必ず同時決済の要件を満たすわけではありませんので注意してください。

同時決済が行われる場合、キャッシュ・フローは実質的に同等であり、信用リスクや流動性リスクに対するエクスポージャーはありません(IAS32.48)ので、その点でも相殺表示することが適切と考えられます。

マスター・ネッティング契約

単一の取引先と多数の金融商品取引を行う銀行や証券会社などは、当該取引相手先と「マスター・ネッティング契約」を結ぶ場合があります。

マスター・ネッティング契約は、一つでも約定の不履行または解除があった場合には、当該契約の対象となっているすべての金融商品を単一の純額で決済することを定めています。

マスター・ネッティング契約は、将来の特定の条件下で相殺権を創出しますが、契約と同時には相殺権の強制力が生じません

取引相手方に債務不幸その他の特定の状況が発生した場合のみ、強制力が生じ(債務不履行に陥ったら相殺権が発動するような「条件付き」の強制力)、個々の金融資産と金融負債の実現または決済に影響を与えます。

よって、一般的な(ISDA以外の)マスター・ネッティング契約は、無条件に常に強制力を伴うわけではないので、それだけではIAS32.42の相殺表示の要件を満たしません。

デリバティブ取引におけるマスター・ネッティング契約とは、具体的には、International Swaps and Derivatives Association(以下、「ISDA」)マスター契約を指します。

ISDAマスター契約はペイメント・ネッティング、クローズアウト・ネッティング(一括清算)の条項を含み、一括清算条項の有効性については、ISDAが各国においてリーガル・オピニオンを入手した限りにおいて法的に担保されています。

以下に、ISDAが公表しているLegal Opinionsの取得状況のリンク先を載せておきます。
引用元: ISDA OPINIONS LIBRARY

IFRSでは有事発生時のみならず、現在においても相殺権を有していることが相殺の要件となっているため、クローズアウト・ネッティング(デフォルト事由発生時のネッティング)だけでは相殺の要件を満たしませんが、この点ISDAマスター契約ではペイメント・ネッティング(平時のネッティング)も含まれております。

クローズアウト・ネッティングはISDAマスター契約の第6条に規定がある一方、第2条にはペイメント・ネッティングが義務として規定されています。

日米の会計基準では、金融資産と金融負債の相殺には、原則として相殺の意図(純額決済)が必要とされていますが、マスターネッティング契約を締結しているデリバティブ取引については、相殺の意図がない場合でも相殺表示を可能としています。

取引種別 マスター・ネッティング契約の例
店頭デリバティブ取引 ・ISDAマスター契約およびCSA
レポ・証券貸借取引


・Master Repurchase Agreement(MRA)※1
・Global Master Repurchase Agreement(GMRA)※1
・Master Securities Loan Agreement(MSLA)※1
(以上※1をSecurities Industry and Financial Markets Association(SIFMA)が公表)
・債券等の現先取引に関する基本契約書 ※2
・債券貸借取引に関する基本契約書 ※2
(以上※2を日本証券業協会が公表)
・Global Master Securities Lending Agreement(GMSLA)
(International Securities Lending Association(ISLA)が公表)

米国基準や日本基準では、マスター・ネッティング契約の存在が相殺の意図を不要にすると規定されており、重要な検討要件となっていますが、IAS32では、マスター・ネッティング契約があっても、相殺の意図を示すものとは考えられておらず、また、マスター・ネッティング契約から生じる相殺権は将来の事象について条件付きである(ことが多い)ので、相殺の要件は満たさない(可能性がある)としています。

 

第1の要件:法的強制力のある現在の相殺権

相殺権は自社およびすべての取引相手の、平時、債務不履行時・倒産又は破産時において強制力を持たなければならないとしています。

相殺権はすべての取引相手に対して強制力を持たなければなりません。

IFRSではトライパーティ・ネッティングが可能であるため、すべての取引相手に対して強制力を持つ必要があります。
一方、日本基準や米国基準では二当事者間のネッティングのみ可能であるため、すべての取引相手に対して強制力を持つ必要はありません。
また、IFRSでは自社の破産時の強制力も必要ですが、日本基準や米国基準では相手方の破産時の強制力のみで十分です。

そうすることにより、複数の取引相手のうち、自社を含む1社に債務不履行・倒産または破産が生じた場合、相手方は債務不履行・破産した相手方に対して相殺権を強制できます(BC80)。

債務不履行・倒産または破産時に強制力がないのであれば、当該相殺権は企業の権利・義務の経済的実質を反映せず、相殺表示の要件を満たしません(BC81)。

このように必要な法的強制力とは、現時点で即行使可能な相殺権であり、①将来事象の条件付きではなく、②自社およびすべての相手方に関する、平時債務不履行時、倒産又は倒産時の状況下すべてで法的に強制力があることを指します(AG38B)。

国や地域(法域)によっても強制力に差があることから(AG38C)、すべての取引当事者に適用される法律を検討すべきで、それによって必要な法的両勢力があることを確認する必要があります。

なぜ自社の破産時の強制力が必要なのか?

2011年IAS32改訂に至る公開草案では、「純額」が会社の権利義務を表す場合とは、次の条件をすべて満たす場合であると提案されました(BC86)。

  1. 将来事象に左右されずに、すべての状況下で純額決済を主張・強制できる。
  2. 主張・強制する能力が保証されている。
  3. 単一の純額を受け払いし、または資産の実現と負債の決済を同時に行う意図がある。

またこの提案は「自社を含む」取引参加者を含むものであるとの見解がなされました。

なぜなら、自社債務不履行時の相殺権の強制力を必要とする理由としては、自社の正味エクスポージャーを常に表現するためには、自社を含むすべての取引当事者の債務不履行・倒産または破産時に強制力があることの確認すべきだからです(BC90)。

現在の強制力ある相殺権とは

「現在の」というのは、相殺権が将来発生するかもしれない状況に左右されないという意味になります。

さもないと、今現在強制力のある相殺権を有しているとは言えず、将来事象が実際に発生するまで強制力ある相殺権は認められません(BC82)。

つまり、有事の際にのみ相殺権が発生するクローズアウト・ネッティングのみでは、「現在の強制力ある相殺権」とは言えず、IFRSにおいては相殺表示が認められません。

なお、ISDAマスター契約においては、クローズアウト・ネッティングは第6条に規定があるのみならず、第2条にはペイメント・ネッティングが義務として規定されていますので、平時においても相殺権が認められることから、「現在強制力ある相殺権」を有していることになります。
ISDA以外のマスター契約を締結している場合には、平時の相殺権があるかを十分に確認する必要があります。

相殺権が将来における平時、債務不履行時、倒産または破産時あるいはダウングレード発生時以降、消滅したり、効力を失ったりする可能性があるものについては、現時点で強制力を持ちません。

参考図書